昨日、全国統一学力調査があったらしい。

反対・賛成含め、めちゃくちゃ議論を呼んでいるのにびっくり。民間の進学塾などでは、全国規模で試験して偏差値だしてるし、結局その延長じゃん! やりゃ〜いいじゃんと思いますがね。世の中、やっぱり競争ですよ。

基本的に競争は賛成。学校の序列が付くなら、むしろあるべき姿と思います。格差社会というけれど、適度な格差があった方が、きっといい。勉強も職業も。ただ、格差と差別は違うものであり、上だからいいとか、下だからいいとか、そういう事でもない。上を目指したい奴は目指せばいいし、下に納まる人はうまく納まる。つまり、選択肢が増えると思うんですよ。それがみんな同じだったら・・・かえってやる気無くすよな。だいたい、格差がないことを理想とした旧社会主義社会の失敗は、いうまでもないでしょう。


だからこそ気をつけないといけないのは、競争に不正が入らないかどうかということ。40年前の学力調査では、教師が答えを教えたり、成績の悪い子を休ませたり、というのが問題だったというじゃないですか。だったら、試験監督官を別の学校とかえるとか、そもそも自校でない場所に試験会場を作るとか、休んだ人がいればノーカウントではなく0点で計上するとか、万一不正が明るみになったら「この学校は教育の風上にも置けない教師がいます」と発表するとか、公平な競争が出来る仕組みはバカじゃなければ考えつくでしょう。公正な競争ならガンガンやるべき! 絶対!!

それに反対を唱えるの人も言うのは構わないけど、実際統計的には学力が下がっているというんだから、これをどうするのか代案示して話してほしいな。そして出来ない子が可哀想というけど、才能を伸ばされない出来る子も同じくらい可愛そう。それに社会的には、才能ある人が多いに活躍できないと、結局社会としての成長が止まってしまうくらいのことは分からないかな〜。繰り返しになるけど、だから社会主義国家はダメになったんでしょうし(若干、短絡的かもしれませんが)。「出来ない」ってことは、人として劣っているということではないんです。伸びる部分が、他にあるってことなんです。それを見いだして磨いてあげることこそ、教師の仕事なんだと思います。

でもね、そもそもこういう事を考えるのが、頭の堅いおじさん(=文科省の政治家や官僚)たちと、利権に懲りかたまった団体と、実は構成員が胡散臭かったりする教育委員会ですからね。当面、建設的な話は期待できないのは言うまでもないのかもしれません。昨今の色々な議論をニュース等で又聴きするには、極端なこと言うと「数人のノーベル賞学者を作る」んじゃなく「日本人総よくがんばりましたで賞」を目指してるように思えてならない。そもそもしょぼい上に、みんながみんな持ってしまうと何ら価値がないのに、そんなのを目指してません? できるなら、学業以外にも才能を発揮できる分野を作ってあげて、誰でも何かが秀でられるように、導いてあげましょうよ。