現代人の合理性。

昔ながらの習慣で、今は簡略化されていることって実はたくさんあるのかも。それを顕著に感じるのは冠婚葬祭の時。特に結婚式では仲人を立てなかったり、結納しなかったり、披露宴をしないケースさえ増えている。お葬式でも、お盆はさっさと済ませて旅行の時間に充てられたり、お供えをしなかったり。でもこれらの事、合理的と言えば少しは聞こえはいいけど、実は現代の人たちの知識のなさが原因ではないのか? 何をやったらいいのかよく分からない、なによりそれをやる意味が分からない、じゃぁ止めてしまおうか。自分もこれまではそんな考え方だったような気がする。でも、本来は歴史や意味があるから行われていたことってたくさんあるはずだから、それを分かった上で止めると判断するのが本当の合理性なんじゃないかな。と、自分に対しても反省。歴史的にこれまで続いてきたことを、自分で止めてしまうというのは忍びないような気もしてきた。ただし、新しい歴史を作ったって構わない訳だから、何が何でも歴史を踏襲しなければならないって訳でもないとは思う。

いずれにしても「めんどくさい」という一言で片づけることだけはやるまいと思った。