「死に神」とはどうだろう?

本来は思いつき程度の話ではよくないのかもしれませんが、まぁ思いついてしまったので。テレビの報道を見てて気になった、死刑制度について。

今の法務大臣になって死刑が立て続けに執行されてることに、テレビ朝日が「死に神」と報じていたという話ですが、こんなのジャーナリズムじゃないですよねぇ。もともと偏ったイメージのある朝日新聞にしても、ちょっとこれは質が低いのではないだろうか。

法務大臣は、責務に基づいているだけのはず。むしろ死刑を執行していない法相の方が、責務怠慢を問われたっておかしくないはず。死刑制度そのものの是非は、多いに議論すべきことだと思いますよ。しかし現行の法律に則った制度である以上、執行の是非を問うのはおかしい。「死に神」などと言ってる前に、おかしいと思うならルールを変える議論をすべきであって、ルールに基づいた執行を否定してはいけないだろう。

あと受刑者の面から考えると、死刑と決まってからいつ執行されるとも分からず毎日を暮らしている受刑者にかかるプレッシャー、これも考えようによってはひどいのではなかろうか。執行できずにずっと受刑者でいるならば、終身刑を設定する方が本質的なはず。それよりは、然るべきルールにのっとり然るべき執行がされるのは、良いも悪いもないはずである。

報道は、そういうことを伝えて、是非の判断を促すのが使命なのではないでしょうか。自ら「死に神」なんて偏った報道をすることは、広義には世論操作にもなりかねないのだから。ま、そんなところが朝日っぽいですが。